鏡石

弘法大師 空海が高野山に真言密教の聖地を開く以前のお話。
聖地に必要な条件を満たしている土地とは、西に水源を持ち東に流れ、その水が南に落ちる地形。それが現在の遠井村であった。
お大師様は村の中を調べ、歩き回った。一杯の水をもらったり、お茶と桃はもらえなかったが、それでもこの土地が気に入り水銀が採れないか等々くまなく歩いた。
途中、衣の乱れをなおそうと石に向かい「拙僧の姿を見せてたもれ」と言うと、目の前の石が鏡の様になってお大師様の姿を写した。
お大師様は衣を整え、今度は「これ石よ、拙僧をここで休ませよ」と石に腰を下ろすと、その石はお大師様のお尻と背中の形に窪んだ。
これが鏡石と呼ばれるようになったお話し。
50年前までは棚田の中にあったこの石。鏡の様な部分と腰を下ろした様な跡がよくわかった。月夜の晩には白く光って見えていた。
しかし、今は放棄地となり、雑草やつる草が石に絡み付き、見る影も無く悲しい。
フデフキソウ
弘法大師 空海が真言密教の聖地高野山を開山する以前の話が、有田川町遠井の地に数多く伝えられている。そのなかの一つにこの草の話がある。
遠井の地を気に入り聖地にしようと、空海は地の神山に祈りをし、西の果てで祈祷をおこなったところが 祈祷田→キトウダ→「キトラ」 と呼ばれる地名になる。東の果てでは卒塔婆に文字を書き込み祈り、その筆についた墨を近くにあった草の葉で拭き取った。それからというものこの草の葉には筆を拭いた跡が出るようになった。
卒塔婆を建てたところが、今では「ソトワ」と呼ばれる地名になり、不思議とこのソトワ周辺にはフデフキソウが群生している。
夏から秋に水引の様な花茎が伸びるため、別名ミズヒキソウとも呼ばれる。

はちまんさんのオドカシ
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生家近くに、塚の様なこんもりした森がある。
ここは昔から“はちまんさん”と呼ばれ、樫の木を御神体にして、数軒の家でお祀りしている。
暖かくなった春に、家々から餅や菓子を持ち寄り、神様であるが般若心経を唱え、家内安全を祈願して餅投げをする。神様の社も無い、素朴な巨木信仰である。
ここは高野街道のすぐ横。
昔、高野山を目指した旅人がここで休憩したのだろう。
太い大きな枝が地を這う様に伸びている。
子どもの頃、よくその枝に登って遊んだ記憶がよみがえる。
御神体に子どもが登っても罰は当たらなかった。